村上読了

雨模様の日。寒さがまた戻って来たような感じもある。

 

村上春樹新作の第二部を読み終わる。「えっ、これでおしまい?」といった、わりあい凡庸な終わりかたでがっかりした。第一部はそれなりに面白かったのだが。

 

主人公は、現実と非現実のはざまを行き来するような、ある種の冒険旅行(現実的には数日の失踪というか居所不明)をして、それまでの繊細な体質に加えて何か確信、自信を得て、より地道な現実生活に戻っていく。

 

具体的に言えば、この世ではないような世界で、狭い横穴のようなところを抜け出ることによって、閉所恐怖症を克服し、俗な言い方でいえば、一皮むけて帰還ということになるのだろうか。

 

彼の冒険でサポートをするのが、老画伯の絵から抜け出てきた「騎士団長」だったり、

絵に描かれている女性だったりするのだが、それらは、精霊みたいなものなのだろうか。また、その「試練」の際に、おまけのストラップみたいなちょっとしたものが「お守り」になる。

 

また、「お守り」は、そうした物質だけではなく、「試練」のなかのパニック状態で、

意識をそこに集中させる「何か」(記憶のなかにあるもの、飼っていた猫だったり、

思い出だったり)だったりもする。

 

私はゲームをしないのでわからないが、いわゆるロールプレイングゲームみたいな感じが読後感としてはある。こころの成長物語といえようか。

 

ただし、最終章はそれ以前のできごとから数年あとの、東日本大震災が書かれており、

唐突な感じがないでもなかったし、未消化な感じが否めない。

 

何かで読んだのだが、彼はあの震災のとき、ハワイに滞在していたという。そんな「距離感」を感じてしまった。

 

それでも、不思議な夢に悩まされたり、おかしな現象が起こる自分としては、どうやって、現実に錨をおろすか、という参考になったとはいえる。同類がいるのは、やはり安心できるというか。

 

あるいは、煎じつめていえば、危機的状況に陥ったとき、ひとは何を「よすが」にして生き延びる、あるいは生き続けることができるか、ということの、ひとつの回答かもしれない。

 

 

雛まつり

今日は雛まつり。家のなかにシクラメンの甘い香りが漂っている。白い花というのはなぜか香りのよいものが多い。

 

昨日は元スパイダースの、ムッシュかまやつこと、かまやつひろしの訃報が流れて、定時ニュースでもかなり報道されていて、意外に思った。

 

私は中学生の頃、周囲がタイガースの沢田研二とかに騒いでいたころからの、かまやつファンで、昔は「変わってる」と言われたが、今では彼は国民的追悼を受けるほどの人気になったのかと驚いたことであった。

 

大人になってからはそんなに彼の音楽を積極的に聞くということはなかったが、飄々としたあの感じはずっと好ましく思っていた。

 

自伝もかつて読んだことがある。記憶に残っているのが、自分が長く音楽業界でやってこれたのは、大ヒットを出したことがなく、中どころの人気でコンスタントにやってきたからではないか、と書いていたことである。

 

ソロとして活動するようになってからも、ずいぶんいろいろなところに曲を提供していたのだなあ、と昨日知った。

 

訃報が流れると、皆だいたい良いことだけを言うが、このひとに限っては、すべて本当のことだと思う。音楽を本当に愛していて、暖かい人柄だったと、誰もが言っていた。遊んでばかりとか、のんびりしているように見えるが、「それなりに自分も結構勉強しているんですよ」と言っていた映像があったが、そうなんだろうと思う。

 

自分のペースを淡々と守って、しかし情熱を失わないというのも、なかなかありそうでない。自分の青春が去ったようで寂しく感じたことだった。

 

 

 

 

ねこがしま

2月も最後の日。すいぶん暖かくなった。今日は「ビスケットの日」、また「バカヤローの日」でもあるのだそうだ。かつての、吉田首相のバカヤロー解散にちなんでいるとか?

 

おなかの調子が悪いので、お昼はお粥にして、梅干しを食べたが、梅干しの美味しさが文字通り腹にしみ通る感じだった。なんでも食べられるときは食事のシメとしてつまんむぐらいなので、味わいがわからないのかもしれない。

 

このところ毎晩のように見ているのが、青島の猫たちの写真だ。青島は愛媛県の長浜の沖合いの小さな島で島民より猫の数が多い、「猫の島」として世界中から観光客がやってくると聞く。

http://ameblo.jp/catsisland/

 

ここはクルマも自転車もなく、犬もカラスもトンビもおらず、人間もお年寄りがほとんどなので、猫にとっての天敵がいっさいいないせいか、ここの猫たちは皆外猫だが、とてものんびりした感じなのである。

 

また、近親交配ということなのか、似た感じの猫が多く、顔もなんとなく愛くるしい猫が多い印象で、見ていてこころがなごむ。夜就寝前はだいたい青島の猫を見ている。

 

島には宿泊施設もないので、対岸の長浜からフェリーで日帰り、最長でも8時間しか滞在できないし、食料も自前でもっていかなくてはならないらしいが、実に楽しそう。

 

お昼は猫たちが「おねだり」するので、多めにもっていったほうがいいというアドバイスもある。猫じゃらしなども。http://aoshima.ec-net.jp/long100.html

(どこかで、駅のロッカーに、ある程度はじゃらしを置いてあるとか読んだこともある)

 

難点は冬場には海が荒れて欠航が多いことで、冬でなくても悪天候だったりすれば島に渡ることはできないことだ。

 

以前はだから猫達もいつもお腹をすかしていたらしいが、今は全国からキャットフードや毛布といった支援物資が届くので、人相ならぬ「猫相」もおだやかになったという。

 

同じような猫が本当にたくさんいて、めくるめく不思議な世界である。

 

あまりに不便なところなので自分で行ってみようとは考えなかったが、どうやっていくのだろうとネット検索したら、いろいろなひとがブログなどを書いて、懇切丁寧に説明してくれている。

 

 

東京からだと、松山に飛んで、予讃線に70分乗って長浜に出、そこからフェリーに乗る。小さなフェリーだから、8時間滞在だと帰りの便に乗れないひとも出てくるのではないか。

http://nekonoshima.miau2.net/aoshima-access/

 

 

 松山は一度空港を使っただけで、観光などで行ったことはないが、「坊ちゃん」の舞台らしい、のんびりしたよい感じのところだった。

 

一度「猫が島」に行って猫まみれになってみたいなあ、と、今日は熱っぽいアタマで、「ネット旅行」を楽しんだ。桟橋に猫達がお出迎え、なんて、素敵だと思う。観光化されていない「猫天国」がずっと続くとよいなあ、と。

おみくじ

今朝は4時ごろに目覚めてその後あまり眠れず、終日外出しなかった。胡蝶蘭の花が5つになった。

 

ショッキングな事件がなぜショッキングかといえば、そのこと自体もあるが、それが自分の夢と妙に連続していたからだった。その事故(か事件)があったちょうどその頃、

私は自分が出演する夢のなかにいて、その帰結がその事故であるらしく、そんな夢見をした。つまり、なぜ心が晴れないかというと、現実と非現実の境目が曖昧になったからである。

 

今朝の夢は、「これが白雪姫のお城です」というもので、お城自体ははっきり覚えていないのだが、白雪姫のモデルのお城はスペインにあることはよく知られている。なぜ、こんなものが夢に出てきたのかといえば、思い当たるのは、昨日駿河台の売店で今年のSt.Herman Calendarをパラパラ手にとってみたが、今年のバージョンは「イベリア半島の聖人」特集だったことからきているのではないか。

 

自分はカレンダーがイベリア特集だったことなど、とっくに忘れているのに、それを拾ってきて、白雪姫の物語を思い出せる「それ」はいったいなんなのだろうと思う。

時には「うるさい」と怒りたくもある。夢のなかでは、抵抗している自分がリモコンで消そうとしていたりする。

 

引き出しの中を探しものをしていたら、古いおみくじが出てきた。2014年3月に引いたと鉛筆書きしてあるので、北国を去るひと月前ぐらいに引いたものなのだろう。

 

記憶は定かでないが、神社は近所の護国神社ぐらいしか行っていないので、首都圏に戻ることはもう決まっていたけれど、悩むことが多い日々に、引いてみたに違いない。

 

今見てみると、そのおみくじは「大吉」で、転居の項目は、安心してよい、みたいに書いてあった。が、ちょっと引っかかったのは、「旅立ち」で、それ自体は「良い」のだが、「連れに注意」と書いてある。

 

首都圏へ戻ってきたときの連れといえば、母しかいないので、「そういうことだったのかなあ、やっぱり」と思ったりする。

 

当初は、私一人帰ることにしていたのだが、後見人団体の担当者が北海道には常駐しておらず、仙台と兼任しているので、何かあった場合すぐ面倒を見てもらえない問題があったのだった。関係者的なひとは道内にいるにはいるが、網走在住で、札幌からは遠すぎるのが難であった。

 

さきほど、夕食を食べていたら、6時過ぎ、十勝地方でM4.8ぐらいの地震があった。たいした地震ではなかったようだが、2012年の今頃、十勝川温泉に行ったことを思い出した。

 

あの頃は、311のあと、どこへ避難したらよいか探し回っていた頃だった。「何かあったらOへ」というおともだちの言葉だったが、Oへ行くことは歓迎されていないようであったが、九州や中国地方という思い切りもできず、やはり北国を諦めきれず、余震がまだ結構あった頃だったので、ためしに一時避難を兼ねて十勝川温泉へ行ってみたのだった。

 

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どうも移住は歓迎されないような雰囲気だったので、おともだちのおとうさんには連絡をしなかった。

 

普通ならそれですんだのだったが、母が劇症の食あたりのようなものになって、宿のひとのアドバイス音更町のT州会病院へ入院することになったのだった。

 

T病院は地域医療を主眼に据えているだけあって、24時間受付で、さらに驚いたことには、付き添いの私も頼まないのにすぐ受け入れて簡易ベッドを用意してくれ、食事も病人とは別に3食出たのであった。そのとき食べた豚の照り焼きみたいなものがあまりに美味しくて驚いた。

 

知らない土地で死にかけたので、あまりに心細く、思い余ってついにおともだちのおとうさんに、「かくかくしかじか」と電話をしたのであった。その病院なら大きなところなので大丈夫なこととか、また、帰る日には空港まで送ってあげましょう、と言われたが、こんな寒い時に来るなんて、しかも前もって連絡すればよいのに、とか、結構叱られてしまったのであった。

 

そんなこんなで点滴などでことなきを得て退院した母を連れて、たしか、雛祭りの日に、帰浜したのだったと思う。

 

今振り返ってみると、震災の恐怖があまりに大きく、あの頃は、精神状態というか、判断が少し狂っていたように思う。でも、良い病院に遭遇したために、客死などということは避けられ、大事にならずにすんだ。

 

母は私にとっては重荷であり、自分のなかの「建前」、あるいは放置するときざす「罪悪感」が対応している部分である。

 

どうも、私の「それ」があるとき夢で告げたのは、母が父のところに嫁いだこと(あるいは年のことか)が誤りだったのだそうである(具体的な年をあげた)。

 

そんなことを言われても、私にはなすすべがないが、自分の苦境というのも、自分の問題だけでなく、係累の運命と大きく関わっているということなのであった。

 

 

 

 

 

 

A Warm welcome

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割合暖かくなった日。大斎のはじまりということもあり、久々に駿河台へ。急に思い立ったので、遅い到着ではあったけれども。

 

なぜか大斎のはじまりにもかかわらず、参祷者は結構少なく、外国人の参祷者の半分ぐらいは、聖職者の領聖が始まると、退出してしまったので、最後はガラガラだった。現在は告解をするには早く行かなければならないので、私は領聖はしない。

 

午後5時からの赦罪の祈祷には出ないつもりだったが、アナウンスがあって、その前にキャンドルグラスやクロスなどの掛け替えのお手伝いを募っていたので、クロスを畳んだり、手伝った。クロスは白いものでも手がススだらけになるので驚いた。

 

それまでの間、時間があったので、神保町まで降っていって、サンドイッチなどを食べたのだが、去年の夏行ったことがあるレバノン料理(といってもファストフード的なものだが)のお店の前も通ったのだが、テナント募集の張り紙があって、店を畳んだようだった。

 

ケバブとかファラフェルのようなものがメニューにあるお店だったが、それなりに美味しくはあったが、飲み物なども入れると千円ぐらいになって、ちょっと高いなと思い、

二度は行かなかった。きっとそういうひとが多かったのだろう。学生街にしては、さらに軽食にしては、ちょっとそぐわない値段だったのだ。デパートの地下はいざ知らず、フードビジネスは今は難しいのだなという印象だ。他にも閉めた店があった。

 

昼食後戻ってきたら、境内でU夫人(今はM夫人だが)とたまたますれ違って、ちょっと立ち話をした。なんと今年で80歳になったのだという。とてもそんなには見えないが(前よりちょっとシワが増えたかなぐらい)。お互いに「お変わりなくて」と言い合っているのも、ちょっとおかしくもある。

 

あと、もと青年会のメンバーでマトシカになっている女性からも声をかけられた。

「青年会ではお世話になりました。あそこがなければ今私はここにいなかったでしょう」と言われたが、お世話した記憶もないのだが、覚えてくれているひとがいるのは、嬉しいことであった。

 

先週、今週と、かつての知り合いにメールをしたのだが、全部返信がなく、もう付き合わなくてよい、という判断なのだろうなあと思ったが、寂しくもあったということもあった。

 

大斎だから特別に何かということもなくはないが、「人を暖かく迎える」といった、簡単なことでも、どれだけ心をなごませるかを考えると、だいじなことではあるな、と

思ったことだった。できれば、そうありたい、と。

 

久々に教会へ足が向いたのは、昨日近所で結構ショッキングな事件があって、こころが晴れなかったのだ。一人で暮しているとなおさら気分の転換は難しい。

 

今日は、「主の祈り」の一句一句がとてもこころに沁みた。

 

旧学院前では、大好きな花、沈丁花が芳香をはなっていた。小さなキンポウゲみたいな花もそばにあった。キンポウゲはバターカップというのではなかったかしら。

 

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解毒剤

ようやく暖かくなってきた。ダウンコートや革手袋が少しずつ暑苦しくなってきた今日。

 

昨日から今日にかけて、村上春樹の新作の第一部を読んだ。彼の作品は短編やエッセイぐらいしか読んでいないのだが、オペラの「ドン・ジョバンニ」を連想させるタイトルで何を書いているのか、最近ローマ法皇に辞職させられたマルタ騎士団団長のニュースとは関係ないと思うけど、彼の「無意識」がひょっとして時を先取りしたかも、なんて

思ったのだった。

 

実際は、そういう時事的なことに、もちろんなんの関係もない、画家が主人公で、

戦前ウィーンに留学していたある画伯の一枚の絵が展開する、ナチス時代もリンクしている、なかなか壮大な話である。

 

イデア」というものが、古墳時代の装束の小人のようになって出てくるのには、ちょっと鼻じらむ部分もあったし、深い穴に埋められた古代の鈴が夜毎鳴って、主人公を悩ますところなど、折口の「死者の書」を連想させたりするところはあったりするが、

謎めいた人物が彼に肖像画の依頼をするあたりなどは、ゴシック小説の怖さや語り口の妙味があって、読者を引っ張る力はたしかにすごい。読み出したら止められない。

 

が、すべての彼の小説がそうだというわけではなく、「ねじまき鳥クロニクル」とかは、何度も投げ出しそうになった。

 

この先どうなるのか、第2部を読んでみないとわからないが、第1部にすでに出ているナチスオーストリア併合時の話が展開していくのだろうか。

 

明らかに、彼の政治的、且つ、歴史に対する認識を盛り込む意図で書かれていると思うが、とはいえ、超常現象である夜毎の鈴の音に対する画家の恐怖などは、作者が「不安」というものをすこぶるよく理解していることを示している。

 

夢と現実が交錯しているような小説はいくらもあるが、彼の小説の特徴はそれが非常な

リアリティを持っていることだ。おそらく、彼もそういう体験を少なからずしているのではないかと思う。

 

だから、小説としての妙味とは別に、そういった、現実や認識の不安定さ、つまり、

やはり夜毎の夢にひどく悩まされている私にとっては、それらをしかしけっして重々しくは書かない、彼のスタイルは、一種の解毒剤になったような気がする。

 

この小説の設定は、ありえないような人が出てきたりして特殊だが、主人公の抱える不安は、現代に生きる人なら常に感じるような、通奏低音のような不安感だと思う。

 

村上春樹の人気の理由がなんとなくわかったような気がした。とともに、このあいだのサリンジャーもそうだけど、優れた芸術作品は、卓越したセラピストのようなものだな、と感じた。

 

 

常磐木(ときわぎ)

今日は気温が20度ぐらいの暖かい日だった。朝がた降っていた雨も午後には晴れた。

運動不足解消に公園で1時間ぐらいの散歩。風がすっかり春めいていた。明日からはまた寒くなるとのことだが。

 

ニュースで、湾岸エリアの植物園の温室にある、ヒスイカズラという植物を映していた。コバルトグリーンというのか、鮮やかな翡翠色が印象的だった。ノウゼンカズラとか藤もそうだけど、蔓性の植物はなぜか鮮やかな色が多いような気がする。

 

梅は終わりかけているが、これからは沈丁花が咲いたり、桜も開花まであとひと月ぐらい。それにしても、冬や春先に咲く花は香り高いものが多く、しかも、ほとんどが凛とした,高貴な香りだ。クチナシキンモクセイのような甘い香りとは一味違う。

 

朝がたラジオを聞いていたら、彫刻家の平櫛田中のお孫さんが、思い出を語っていた。晩年の大作「鏡獅子」は戦前にとりかかったものだったが、戦争で中断したままになっていたのを、知り合いのアトリエを訪ねたら、そこの柱に「今やらなければいつやる」という言葉が書いてあって、それを見て、再度とりかかるように奮起したのだという。

 

「いまやらねば いつできる わしがやらねば たれがやる」というのは翁の座右の銘として、よく揮毫していたという。

 

思い出話も興味深かったが、そのお孫さんという方(年配だと思うが)の話し方がなんとも素晴らしく、ある年代の日本人にしかもう残っていない、毅然とした美しい話し方で、感動した。今ではめったに聞けない種類のものだ。

 

最近は右翼的なひとが盛んに「美しい日本」とか言っているが、彼らがことさらに言いつのる「日本」というものは、あまり美しいとは思えない。もっと自然に存在している、静かに受け継がれているエッセンスのようなものだと思う。

 

  八千種(やちぐさ)の 花はうつろふ 常磐(ときは)なる

        松のさ枝(えだ)を 我は結ばな

                           右中弁大伴宿禰家持

                                                                            (萬葉集 巻二十)

 

 

うつろうものにこころ騒がせる日々。この歌を読み、「変わらぬもの」を想った。

ふと心に浮かんだのは、イザヤ書の聖句;

「草は枯れ、花はしぼむ。しかし、神の言葉はとこしえに変わることはない」

 

人はみな草であって、ひとたび主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ、と預言者は語る。

 

そんな「うつろう世」にあって、神の言葉こそは、信仰者にとっての常磐木、依り代といえようか。